トランスジェンダーの手術は、長い歴史を持ち、16世紀後半にさかのぼります。
クロスドレッシングの始まり
多くの著名なひとたちが、異性のものとされる衣服を身につけていました。(クロスドレッシング:男装または女装をすること)。
・フランス3世・ヘンリー王
・スウェーデンのクリスティーナ女王
美しいドレスに身を包み、長い髪で微笑んでいますが、これはあくまで肖像画であり、世間が女王に求めた姿だったようです。映画にもなっていますが、実際はまったく違うようです。
実際の彼女は、「私は女性ではない」と言い放ち、王冠を投げ捨て、性別に違和感を持っていました。
男性と同じ服装と短い髪型で、腰に剣をつけ、大股でズカズカと歩き、大声で喋っていたようで、しとやかさが求められた当時理想の女性像とは正反対でした。のちに、名前をドーナ伯爵に変え、男として残りの人生を送りました。
クロスドレッシングについての初めて書籍に記録されたのは、1676年のことでした。
フランスの女装、作家であったアベ(Abbe Francois Timoleon )は、18歳になるまで女の子の服装をしていて、一時は男の衣装を着ていましたが、その後は女性ドレスを着ていました。舞踏会に行くにも女性のドレスを着ていた記録されています。
それ以降も多くのクロスドレッシングに関する記載が残っており、近代に至ります。
クロスドレッシングから性別不適合者へ
個人のクロスドレッシングの増加に対応して19世紀半ばから後半にかけて、医療専門家は、性別不適合者に対して多くの焦点を当て始めました
このコミュニティーを研究したのは、ヨーロッパの医師たちが初めてです。
しかし、1940年代には、トランスジェンダーと性別不適合者についての文献の多くは非トランスジェンダーの身体を焦点として記述されていました。
性学に専念したマグヌス・ヒルシュフェルト博士は「女装」という言葉を造語し、彼の著書は1910年に「トランスヴェスタイトTransvestites」と題しました。
異性の衣装を身に着けたときに強い「平和感」を感じるこのコミュニティー、これらの個人に対しての研究に没頭しました。
1946年、英国の医師マイケル・ディロンは、あるトランスジェンダー個人をホルモン治療を通じた変容、そして、FTMの生殖器外科手術をはじめて文書化しました。
ディロンは、性別不適合の受け入れを主張した「自己:倫理と内分泌学の研究」という本を記載しました。
また、トランスジェンダーの人を治療する医師に対し、性的感覚の矛盾を是正する手段としてのホルモン治療と性器手術を考慮する代わりに精神的な不均衡についても指摘しました。
この議論の大きさにもかかわらず、のちにこれらの仕事は、ハリー・ベンジャミンが請け負いました。
医療におけるトランスジェンダー個人の議論
1950年代以前のトランスジェンダーの議論は、西ヨーロッパではほとんど排他的でした。
1919年にドイツ・ベルリンにトランスジェンダーの研究所が設立され、1922年に、MTFであるドーチェン・リヒターは、去勢を受けた後、1931年には陰茎を切除し、新しく膣を再建しました。これが世界でもっとも早くに性転換手術が行われた記録です。
第二次世界大戦後には、性転換手術は国際的な注目を浴びました。
はじめての性転換手術
アメリカ人であるジョージ・ヨルゲンセンはデンマークで性転換手術を受け、その後にジョージ・ヨルゲンセンは後にクリスティーン・ヨルゲンセンと改名し、トランスジェンダーとしてはメディアに初めて登場しました。
彼女の知名度が上がることで、「性転換」の概念をアメリカ国民の日常会話に持ち込むだけでなく、同じ運命を望んでいたひとたちにも希望を与えました。
クリスティーン・ヨルゲンセンをテーマにした「グレンとグレンダ」(エド・ウッド監督)が公開されました。性転換をカミングアウトしたことで、多くの性同一性に悩む男性に希望を与えたようです。
その後には、デンマークにおいては性転換手術の需要が急増し、世界の隅々から、多くのひとたちが性転換を求めて来ました。そのため、デンマーク政府は、性転換手術をデンマーク国民だけに制限したくらいです。
一方、米国の医師たちはトランスジェンダーの手術に対して消極的でした。そのいくつかの理由は、第一に、性転換の手術ができる医師がほとんどいなかったこと。
しかしながら、手術ができるにもかかわらず、トランスジェンダーの健康な身体にもしものことがあったら、世間に非難を浴びるのを恐れたこともあります。
一方では、医師の中には、単にこれらの個人の精神障害としての増加する手術希望者を無視した人もいました。そのため、このような性別適合手術の圧倒的な要求にもかかわらず、ごく一部しか実施されませんでした。
この10年間、米国における医療変革は、性転換へのアプローチを変え始めました。その結果、性別適合手術も以前よりも簡単にアクセスできるようになりました。
トランスジェンダーの研究がさかんに
1960年代半ば、ハリー・ベンジャミンの出版物「性転換現象」を契機に、トランスジェンダーの個人に関する研究が急増しました。ベンジャミンの研究の80%は、FTMについてでした。
数年間、メリーランド州ボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学(JHU)は、インターセックスに焦点を当てて、あいまいな生殖器を所有している子供たちを対象にしていました。
これらの子供たちは、外科医クロード・ミジョンと心理学者ジョン・マネーのもとで、再建手術を受けることができました。1966年に、このような手続きをトランスジェンダーのひとたちに適応し始めました。したがって、ホプキンス大学は、ジェンダー手術ができる最初の医療機関になりました。
主な目的は、手術がトランスジェンダーに有益なのか、そして、自分たち自身の教育の場でもありました。
最初の三年間で、このクリニックには約2,000件のリクエストが殺到し、ほとんどがMTFのリクエストで、FTMの数をはるかに上回りました。
これに対してジョンズ・ホプキンス大学は厳密な基準を示し、これらの個人を選択する傾向にありました。
社会的な性別の期待に従って、外見と行動において自分自身を異性として示す可能性が高い個人を選択する傾向にありました。
この厳しい基準により最終的にジョンズ・ホプキンス大学にほとんどの応募者が拒否され、この施設では性別適合手術は24件のみしか行われませんでした。
世論の論争の中、ジョンズ・ホプキンス大学は、1979年に診療所を閉鎖しました。しかし、同時に、いくつかの同様のセンターが設立されました(ミネソタ大学スタンフォード大学、ケースウェスタ大学)。
その後10年以内に、米国は40以上の大学にジェンダークリニックを設立し、約1,000人のアメリカ人が性別適合手術を行っています。
1979年にジョンズ・ホプキンス大学のジェンダークリニックは閉鎖されましたが、その後もジェンダー手術、性の研究ジェンダーの行動に関する研究は今も進行中です。
【関連記事】
☞性同一性障害の性別変更のためだけに性転換手術するジレンマ
☞性同一性障害gid・性別違和治療の倫理的問題点
☞性同一性障害の治療の進歩
当院は、主に性同一性障害専門クリニックとして、GID学会認定医によるgidに関する診断、ホルモン治療、手術、そして、性別変更までのお手伝いをさせていただいています。
☞クリニックのご案内
ホルモン治療、手術についてわからないことなどありましたら、気軽にライン、またはメールからお問い合わせください。